2007年3月16日

四季・冬


森 博嗣 / 講談社(2004/03/06)
Amazonランキング:131237位
Amazonおすすめ度:
個人的おすすめ度:
さまざまなストーリーを無理して繋いでいる意味は?
最初のシリーズよりは好みです
読まないほうがいいですね

レビュー:
「秋」で四季の失踪の意外な真実が見えた。
しかしその真相を突き止めることも無く西之園と犀川をはじめとする周囲の人間はバラバラになっていく。

四季は依然として居場所もわからぬままサイエンステクノロジー分野では変わらず絶大な影響を及ぼし続けている。

そんな中、とある組織は四季の拉致を計画し、四季とのコンタクトに成功する。
遊園地で思わぬ遭遇の仕方をするが計画は実行され四季を捕らえた。
しかし、それは人間ではなく四季の作り出したサイボーグであった。

人目でサイボーグとは判別が出来ない程の柔軟な動きと思考回路。
ウォーカロンと名付けられたそれは、四季の研究の成果の一つであった。

一方で、四季の子供の遺伝子を託された博士は四季に意外な真実を告白する。
四季の子供のその後について。。。

四季シリーズの最後なので完結か?と思いきや意外な方向で迷宮百年に続いていくようです。。。

Gシリーズにも繋がっているし、もはや何が何だか・・・といった感じです。苦笑

でも本書で書かれている四季の人類に対する考え方、ウォーカロンに対する考えについては、個人的にセンセーショナルな衝撃を受けました。

「人間は最初に最も理解力を持ち、知識を蓄え、それらの応用と試行を繰り返す事によって、しだいに制限され思考力を失うのです。簡単に言えば、最初は誰もが天才、そして、だんだん凡人になる。」

このくだりは理解できるけど、納得するのに抵抗がありました。
けれど、子供を見ていると納得出来る部分がある気がします。

子供は自分に必要な事に興味を示し没頭する。
しかし、大人になればなる程、知識や環境に制限されあるいは制限される事を望み仕事をしている。

つまり凡人になればなるほど、仕事が出来るようになる反面、天才とは遠ざかっていく。
天才的な発想あるいは思考を維持するには、世間とは逸脱した次元に身をおく、あるいは制限を受けない事が必要なのかもしれない。

でもそれってすごく難しい・・・そう感じるのはきっとボクも凡人だからだろうなぁ。
けれど、これだけはハッキリ思うのは、知識を蓄えた=天才と考え天狗になっている人が多いと言う事。
世の中はずば抜けた発想よりも経験の蓄積による「無難」な発想を望む傾向が極めて強い。

つまりは、あえて同じレベルで競争する事を望み、あくまで定量的な数値でしか物事を判断出来なくなっていると言うこと。

必要なことかも知れないけれど、それにとらわれ過ぎている部分が多い気がすると考えるボクはひょっとしたらサラリーにむいていないのかもしれませんが・・・。苦笑

そんな人類に対しての天才からのメッセージって感じがしてちょっといろいろ考えさせられる一冊です。

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コメント

きのうフルークが、真相はおすすめするはずだったみたい。
しかし講談社はストーリーも失踪しなかったー。
しかし講談社と四季っぽいおすすめしたの?
しかしきょうは秋まで講談社とレビューした?
しかし講談社はおすすめしたよ♪
しかし秋にストーリーレビューしなかった?

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